大学時代の友人が、入院している私に届けてくれた言葉。
『ワスレナグサ』星野 道夫 著(以下抜粋)
結果が、最初の思惑通りにならなくても、 そこで過ごしてしまった時間は確実に存在する。 そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、 かけがえのないその時間である。
頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、 白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい… …ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、 五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。 何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。 あわただしい、人間の日々の営みと並行して、 もうひとつの時間が流れていることを、 いつも心のどこかで感じていたい。
そんなことを、いつの日か、 自分の子どもに伝えてゆけるだろうか。
(抜粋おわり)
友人の影響で、私も星野道夫さんが好きになった。
星野道夫さんの詩、というか言葉は、 病院で何度も思い出していた。
今、このときだからこそ、まさに
「何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。 …もう一つの時間が流れていることを、 いつも心のどこかで感じていたい。」
「もう一つの時間」いや、自分中心ではなく、「 自分が過ごしているこの時間」に囚われず、 広い宇宙の中のちっぽけな地球の、そのまた一部分の、 さらにごく一瞬に、自分は生かされているんだと感じて。
有難う!友よ!
そして、いつの日か、一緒にアラスカに行こう!